東光寺(とうこうじ)は浄土宗に属し、正式な名称は、丹船山(たんせんざん)薬王樹院(やくおうじゅいん)東光寺(とうこうじ)という。開山は芝増上寺第5世天誉了聞上人 延徳3年寂。江戸初期まで、船山という地(※現在の東板橋体育館の辺り)にあったが、前田家下屋敷開設(延宝7年)のため、現在地に移転した。当時は境内も広く、中仙道に面して参道が開かれ、両側には門前町が並んでいた。その後、度重なる火災戦後の区画整理などにより縮小されたが、昭和57年檀信徒の浄財により本堂が再建され現在に至っている。「中仙道分間延絵図」には境内に小さく「薬師堂」(戦災で焼失・石碑のみ現存)と記載されているが、このお堂は、下屋敷の薬師原にあったものらしい。中仙道と深い関係がある石造物がいくつかある。東京の板橋区内で2番目に古いという庚中塔があり、寛文年間(1661-1673年)の作品。また、宇喜多秀家のびょう(廟)所がある。宇喜多秀家は天正1年の生れ(1573-1655年)。戦国時代の大名で秀吉に信任され5大老の1人。主に、四国や九州、小田原征伐に功をたてたが、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦に敗れ八丈送りとなった。インターネットで「東光寺」で検索すると同名の寺が複数ヒットするが、東京にある東光寺の情報を入手したいのであれば「東光寺 板橋」で検索すれば上位にヒットする。

データ
1982年 本堂が再建
1679年 現東京板橋に移転
1661年-1673年 庚中塔建設※

※歴史的矛盾。記録によると東光寺は1679年に現在地に移転したとあるが、庚中塔はそれ以前に現地にあったことになる。普通に考えれば、移転と同時またはそれ以降に庚中塔が建設されてもおかしくないが、一緒に移転してきたものなのか。